小説出版

S女小説「転落装置 」

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内容紹介

幾人もの女性たちにブーツ磨きを強要され、虐待される中年男の物語。
二七歳の女性上司泉真紀子に仕える中年サラリーマン松山春彦、四〇歳。何事にも消極的な春彦に苛立ちを覚え、挙げ句の果てには彼を虐待しはじめる真紀子とその女性部下たち。春彦の妻菜々子も二八歳と彼より一回りも若く、証券会社のキャリアウーマンである。愚痴をこぼす春彦を最初は馬鹿にする程度であったが、状況の変化によってやがて菜々子は彼を支配下に置くようになる。

【一】遅すぎた反省文

【二】セーラー服の残虐

【三】出勤前の靴磨き

【四】美しき顔面破壊者

【五】顔見知りの若奥様に

【六】いたぶり続ける女たち

本文サンプル

【一】遅すぎた反省文

☆1

いくらなんでも、みんなの前で、あんな大恥をかかせなくても……。
急に冷え込んできた十一月のある朝、松山春彦は、通勤電車の曇った車窓を流れる淡い景色をぼんやりと見ながら、一回り年下の女性上司に憤りを感じた。
春彦は四〇歳。リフォーム会社の営業係長である。係長とはいっても長年勤めていることに対するお情けの肩書きで、実質はヒラに等しい。現場の一兵卒である。身長が百六十センチちょっとと、男にしては小柄でしかも痩せっぽちである彼は会社のなかでも今ひとつ存在感に欠けている。
彼に恥をかかせたのは、二七歳の女性課長、泉真紀子だった。彼の直属上司である。
彼女は「ちょっとみんなに緊張感を持ってもらいたいので」といって、壁に支店全員の営業成績を貼り出した。真紀子を除いた営業スタッフは七名で、春彦以外は女子社員である。春彦の成績は最下位。この春入った新人女子ですら彼よりは売り上げている。
そもそも三ヶ月前まで、真紀子は春彦の部下であった。それが、社長の鶴の一声でいきなり課長へと抜擢された。この営業支店のリーダーである。昨年度、ひとりで億単位の売り上げを上げたのだから、数字だけ見れば、誰も文句のいえない人事であった。ずば抜けた営業成績は、「まだ早いのでは」という幹部たちの声をかき消した。
春彦がそれを愚痴まじりに妻の菜々子に話すとあきれたような顔をされてしまった。彼女は二八歳の証券会社キャリアウーマンで、やはり一回り年上の男性部下を持っている。
「ホント、やりにくいのよね。できない男に限って、どうでもいいプライドをぶら下げてて」
彼女は春彦がほとんど怒らないためか、最近、平気でそのようなことを口にするようになった。
春彦は一回り年下の菜々子と、二年前に友人の紹介で知り合い結婚した。春彦は、あんなに美しく、仕事のできる女性がなぜ自分のような男と結婚したのかいまだに信じられないところがあった。
「あなたが頑張ればいいだけの話でしょ」
妻にそう言われ、春彦は黙って頷くしかなかった。
ただ、周りの女性たちのように成績を上げる自信はまったくなかった。彼女たちは日々恐るべきポテンシャルで仕事に取り組んでいる。まったくどこにそんなパワーが隠されているのか。その理由のひとつは真紀子のカリスマ性にあるのかもしれない。百七十センチを越す身長に加え、たぐいまれなる美貌。仮に元ミス日本代表といわれても、さほど疑問を感じない。また、彼女の販売に対する取り組みや整然とした理論も、部下たちを虜にした。ただ一人春彦を除いては。四十にもなったベテランがいまさら一回り年下の元女性部下のいうことを素直には受け入れにくい。
それにしても真紀子が営業支店を統括してから、支店全体の営業成績は急上昇し始めている。春彦がひとり足をひっぱっているような格好だ。平々凡々でゆったりとしたサラリーマン暮らし……。そんな彼のもくろみはもろくも崩れ去ろうとしていた。
それにしてもこの朝の超満員電車はなんとかならないものか。
左右後ろから押しつぶされそうになりながら、春彦は、妻の優雅なマイカー通勤に憧れた。夫婦間の収入格差も開く一方である。

☆2

月曜の朝は全員参加の営業会議である。支店トップの泉真紀子を始めとするスタッフ七名全員が顔を揃えていた。この週明け会議も春彦の気を重くする要因であった。
「他に意見はありませんか?」
会議もそろそろ終わりになる頃、髪を後ろにまとめ上げた真紀子がいった。春彦は今日も自分の意見を何も言わなかった。その消極的な態度が彼の営業成績に無関係であるはずがない。それは彼の直接の上司である真紀子にとっても看過できない問題であった。
「松山さん、何かないですか? 今日もまだ、何も意見がないようですけど?」
真紀子は春彦の方をじっと見ていった。思わず春彦は目を伏せた。
「い、いえ、特に……」
「そうですか」
真紀子は大きくため息をついた。
「じゃあ、今日の会議はここまでとします」
一同、礼をして、各自デスクに戻った。
「松山さん」
真紀子がデスクから声をかけた。
「はい」
春彦は返事をし、しぶしぶ彼女のデスクへと赴いた。
「ちょっといいですか?」
真紀子はそういうと春彦の返事をまたず、再び会議室へと向かった。彼は仕方なく彼女のあとを追った。

「松山さん、私のやり方に何か不満でもありますか?」
真紀子は単刀直入にいった。
「い、いえ、そういうことは……」
春彦はいきなりの彼女のセリフに気圧され言葉を濁した。
「松山さんは私の元上司ってことで、私も周りも一応、これまで気を遣ってきましたけど、それじゃ会社のためにも、またあなたのためにもよくないと思いますので、これからは遠慮なくやりますけどいいですか?」
真紀子は視線をまっすぐ春彦に向ける。
「あ、そ、それはもちろん……」
「あなたは私より一回り年上でしかも男性ですが、今後はそんなことは関係なく、一部下として接します。いいですね」
「あ、は、はい……」
「はっきり確認しておきたいんです。いいですね」
美しい切れ長の目から放たれる視線が圧倒する。
「わ、わかりました」
春彦はタジタジだった。
「じゃあ聞きます。今日の会議でひとことも自分の意見を言わなかったのはなぜですか?」
「そ、それは……」
真紀子は獲物を捕らえる肉食獣のような目で彼を見つめる。絶対に逃さないつもりだ。
「それは……」
「何ですか? はっきりいってください」
「それは……自信がなかったからです」
春彦は追い詰められて、思わず本音を口にした。いったあとで自分でも驚いた。
「自信がない……そうですか……それはしかし、いってみれば、私たちの前で恥をかきたくないってことじゃないんですか?」
「ま、まあ……」
春彦は、真紀子に核心を突かれたような気がした。
「どんどんかきましょうよ恥を。会社は売り上げを作るためにあるのであって、あなたのプライドを守るためにあるわけじゃありませんから」
「は、はい……」
「いいですね」
真紀子が念を押し、春彦は頷いた。

「ホント、年下のくせに偉そうなんだよな」
その晩、春彦は手酌でビールを注ぎながら、菜々子の前でそんな愚痴をこぼした。菜々子にしてみればそれは自分への当てつけのようにも聞こえた。
「年上のくせにだらしないからじゃないの?」
そう言われ、春彦は、「あ、そういう意味じゃ……ごめん……」。
慌てて前言を翻したが、時すでに遅しで、菜々子は食事を早々に切り上げ、リビングでPCを開き、仕事の続きを始めた。それから数日、春彦は彼女に口を利いてもらえなかった。

(なんだよ、女なんて……)
菜々子には逆らうことができない春彦の怒りの矛先は、自然と真紀子の方へ向かった。とはいっても生来、気の弱い彼のことであって、表だって彼女に逆らうようなまねはできず、ただ素直に返事をしないということくらいであった。しかし真紀子の方ではそんな彼の態度に、どこかでけじめをつける必要があると感じていた。
あるとき、真紀子に提出すべき企画書が大幅に遅れ、春彦は彼女のデスクに呼ばれた。
「なんでこんなに遅れるわけ? しかも私が指定してたフォーマットじゃないけど……すぐに作り直して」
その高圧的なものいいにさすがの春彦にも穏やかでない感情がわき上がってきた。彼はすぐに返事をすることができなかった。その緊張は周囲にも広がり、オフィス全体が静まりかえった。
「何? 何かいいたいことでもあるの?」
真紀子はさらに強い口調で春彦に言った。もう気を遣ってあげる必要はないと思った。
「ここでいえないなら、会議室で聞きましょうか」
真紀子は席を立ち、春彦はその後を追った。

「何か文句があるならはっきりいって」
「い、いえ……何もありません」
「だよね。アンタがやることやってないだけなんだから、それだけのことだよね。ただ元部下の年下の女にいわれて、素直になれないってことでしょ」
「は、はい……」
春彦は悔しさをこらえながら返事をした。真紀子の言うとおりである。
「本部の倉庫でさ、人手が足りないそうなんだけど、アンタそっちいく?」
真紀子はこういうときのために人事部に話をつけておいたことを口に出した。
「え?」
春彦は大きく目を見開いた。本部の倉庫室は、重労働の部署で、基本的に派遣やアルバイトのスタッフによってまかなわれているが、営業でも事務でも使えない社員が回されることがあることを彼も耳にしていた。
「もちろん管理とかじゃないわよ。重い資材を運んだり整理する現場の仕事だから。一日中、朝から晩まで。基本給はもちろん下がるわ。いまの六割ぐらいと思ってて」
「そ、そんな……」
「あなた、それを覚悟の上での私に対する態度でしょ。だったら男らしいといってあげたいけど……じゃないの?」
そんなわけがない。そんな状況になれば、妻の菜々子からますます馬鹿にされるし、第一、身長が百六十センチちょっとしかない痩せっぽちの彼にそんな力仕事がつとまるはずもない。
「ち、違います……そんなつもりでは……」
「違うんだ。じゃ、どんなつもり?」
真紀子は腕を組んで彼に強い視線を浴びせた。
「い、いえ……す、すみません……」
「何それ? 謝罪? 謝るのもあなたそんなに中途半端なわけ? 私許さないよ……デスクに戻ったらすぐ人事に電話しようか?」
真紀子は、今回ばかりは徹底的にやっておこうと思った。
「泉課長、ど、どうかそれだけは……この通りです、すみません」
そういって、春彦は、テーブルに両手をついて、深く頭を下げた。早くも薄くなりかけている頭頂部を見て、真紀子は中年男の悲哀を感じ、微笑んだ。
「だめ、そんなんじゃ、気が済まない。ずいぶんと私になめた態度取ってくれたよね。アンタ……」
「ど、どうすれば……」
春彦は泣きそうな目で真紀子を見た。
「どうすればいいのかくらい自分で考えなよ……」
そういって、真紀子は一瞬、打ち合わせテーブルの脇の床に視線を落とした。
「あ……」
春彦は思わず大きく唾を飲み込んだ。しかし、いまの彼に選択する権利はないように思われた。
彼は立ち上がり、テーブルの脇に正座した。真紀子も立ち上がり、彼の目の前に少し足を広げて立ち腕を組んだ。それはまさに仁王立ちといった雰囲気があった。
「も、申し訳ありませんでした……」
春彦は真紀子の足元に向けて深々と頭を下げた。生まれて初めてする土下座だった。しかも年下の女性に向けてである。彼は大きく自尊心を傷つけられた。
「今度からますます厳しくいくからね。これまで甘やかしてきた分……」
頭の上から容赦ないセリフが浴びせられる。
「は、はい……」
春彦は、許しを乞うような目で、真紀子を見上げた。
「反省文書いといで、明日の朝までに」
「わ、わかりました……」
屈辱の極みだが、ここで逆らったりしてはすぐさま倉庫送りだ。飛ぶ鳥を落とす勢いの彼女の意見はすぐに人事に通るだろう。

「泉課長、お電話です……はっ」
会議室を覗きに来たのは新人の宇多田恭子であった。まだあどけなさを残したこの美女にだけは、常日頃、惨めな姿を見せたくないと思っていた春彦であったが、こともあろうに、床に正座する姿を見られ、その上まともに目が合ってしまった。
(どう考えても、これは土下座していたようにしか見えないよな……)
春彦は、デスクに戻ると、極力向かいの席の恭子と目を合わせないようにして、そそくさと営業に出て行った。

☆3

「松山っ」
真紀子の声に、オフィスが静まった。部下を呼び捨てにする彼女だったが、これまで唯一の例外として男性の春彦だけは「松山さん」と呼んでいた。春彦はすぐさま、彼女の元へ駆け寄った。
「はい……」
「はい、じゃないでしょ。反省文は?」
「あ、はい……」
春彦はすぐにデスクに戻って、封筒を彼女に渡した。
「反省文」というこのオフィスでは聞き慣れない単語に周りは穏やかでない空気を感じた。
「朝いちばんにもってこいって言ったよね……何度も言わないと持ってこれないわけ?」
「すみません……」
「何でいちいちそんな感じなの?」
真紀子は目をつり上げ苛立ちの声を上げる。
皆の前で、本格的な説教が始まった。
「申し訳ありません……」
女性スタッフ全員が見ている前で、頭を下げるのには抵抗があったが、もはやそんなことはいってられない。
「いわれたことはきちんと守りなさい!」
ひときわ大きな声でそういう彼女に、彼はひたすら謝るしかなかった。
「す、すみません……」
「だから、そんな成績なのよ……今年入ったばっかの宇多田より売り上げが低いってありえないでしょ!」
「はい……」
「今日は、どこ回るの?」
春彦は、今日の営業先の予定を彼女に報告した。
「その程度じゃ、おっつかないんじゃないの? 率が悪いんだから、もっと数やんなきゃ」
「は、はい……」
「もっと、訪問先のリスト増やして、あとで持っておいで。それから、アナタは毎日その日の活動報告を私に提出しなさい」
他の社員は週一でいいところを、春彦だけは毎日チェックするつもりである。
「しょ、承知しました……」

「松山」
「はいっ」
夕方営業先から戻ってきた春彦を真紀子が呼び止めた。
彼は課長デスクに行き、またもやフロア中の注目を集める。
「どこ回った? 報告しなさい」
「はいっ」
春彦は、汗をかきながら、リストを見せて説明した。
「ぜんぜん数増えてないじゃないの? 本当にこれで目一杯なの?」
「はい……すみません」
「で? 何件とれた?」
「そ、それが……ゼロでして……」
「冗談じゃないよね、ホント……ちょっと行こうか」
そういって、乱暴に席を立つと大股で会議室の方へ歩いて行った。春彦は、うつむき加減で、小走りするようにしてあとをついていく。
女子スタッフたちがひそひそ話を始める。
(ちょっと、泉課長のあのキレ具合、ヤバイんじゃない?)
(だけど、松山さんのポンコツ具合も酷いよね)
(うん、アタシが上司だったらもっと早くキレてるわ)

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