
女性が、知力だけでなく体力においても男性を上回る社会がついに到来した。 それに伴い、スポーツ界から男女の区分は姿を消した。
本来であれば、その時点で逆の意味での配慮が必要とされるはずだった。 女性主体のチームにおいて、男性は戦力にならず、屈辱的な立場に置かれることが避けられないからだ。 だが、女性はあえてその対応を設けなかった。 不均衡は、彼女たちにとって是正すべき問題ではなく、受け入れるべき現実だったのである。 そこに、彼女たち自身の嗜好や享楽が含まれていることも、否定しがたい事実だろう。
体力で女性が優位に立つ世界の混合スポーツでは、必然的にレギュラーの大半を女性が占めるようになった。 野球であれ、サッカーであれ、競技の種類を問わず、多くの男性はベンチウォーマーとしてチームに残る。 学校の部活動においても、同様の構図が定着している。 女子選手のユニフォームを洗い、備品を管理する役割は、自然と男子に割り当てられていった。
部室では、女性から男性へ向けた厳しい叱責が日常となり、 なかには「指導」の名の下に行われる行為が黙認される例も見られる。 女権議会によって制定された女性上位法は、そうした現場を制度的に保護していた。
女性優位の世界において、最も過酷な競技となったのが男女混合の格闘技である。 同一階級で戦えば、パワーとスピードの両面で女性が構造的に優位に立つ。 本来であれば、男子選手の競技生命、ひいては生命そのものを守る規則が不可欠だった。
だが、その配慮が十分に制度化されることはなかった。 結果として、今年に入ってから、ボクシング競技における死亡事故はすでに三件発生している。 この事実を、社会の多数派となった女性たちは、どのように受け止めているのだろうか。 男女混合試合のリングサイド席の価格が異常な高騰を示していることが、ひとつの答えを物語っている。 それを購入しているのが、高所得の女性たちである点もまた、象徴的である。
知力に加え、肉体的な強さにおいても女性に圧倒される時代に、 男性に残されているものは、もはや多くない。
わずかに保っていたプライドを手放し、 女性に傅き、奉仕する側へと自らを位置づけること。 それこそが、残された唯一の選択であり、生き延びるための合理的な戦略となる。
生きることを放棄するか、 それとも女性の支配を受け入れるか。 それは、すべての男性に突きつけられた、究極の帰結である。