
「男女平等の終焉」と「女性保護法案」の成立から数年。世界は劇的に、そして残酷なほど美しく塗り替えられた。社会のあらゆる要職は女性が占め、男性は家庭内で妻を支えるの主夫に甘んじる。いや、その現実は男にとってもはや甘んじるどころか、地獄の様相すら呈している。
以下は、IT企業で要職に就く年若妻に仕える中年男の実例である。
「じゃあ、下へ降りましょうか」
妻の声が、冷え切ったリビングに響く。
私が「口答え」という重大なマナー違反を犯したことに対する、正当な処置が始まろうとしていた。彼女に連行されたのは、わが家の地下室。逃げ場などどこにもない。赤いルージュのの口元に浮かぶ、獲物を追い詰めた肉食獣のような笑みを見て、私は激しい後悔に襲われた。
こんなことになるなら、最初から彼女の靴底を舐める屈辱を選んでおくべきだったのだ。
その屈辱的に過ぎる命令をやんわり拒んだ私の言葉。それを彼女は口答えとみなしたのだった。
「顔とお腹、どっちがいい?」
妻は、まるで明日の献立を相談するかのように訊いた。
「顔は、ちょっと……」
そう応える私の声は震えている。主夫とはいえ、買い物などで外に出る機会はある。
鍛え上げられた彼女の腕力によって腫れあがらせた頬を、長い間、晒し続けることになるだろう。
「じゃあ、お腹ね」
「あぁ……は、い……」
返事を待たず、妻の右手が私の喉元を掴み、壁へと押し付けた。
「くぉぅ……」
もはや逃がれようがない。
――あぁ……
現在、彼女は週に三度、女性専用のボクシングジムに通っている。その成果を試してみたいという気持ちもあるに違いない。
長いリーチの左腕が大きくしなり、私の腹部へと吸い込まれた。
「おおううっ……!」
拳がめり込んだ胃が悲鳴を上げる。
――くおおおっ……
なんというパンチ力。こんな凄まじい打撃を、これ以上……とても無理だ。
「あ、あの、奥さま……やっぱり……」
「なに?」
微笑む彼女の瞳には、一切の情が見受けられない。ただ、壊れゆく玩具を観察するような冷徹な好奇心が宿っているばかりだ。
「あ、あの、やっぱり、舐めますので……どうか……」
屈辱にまみれた私の言葉を、彼女は鼻で嗤った。
「いいよ、無理しなくったって。男としてのプライド、まだ残ってるんでしょ? そんなに簡単に捨てるもんじゃないわ」
追い打ちをかけるように、いっそう残酷さを増したボディブローが打ち込まれる。
ドスッ、という鈍い音が再び部屋に響く。
「ぐごおおおおっ……」
「男としての矜持」など、粉々に砕け散っていった。
もはや限界だった。内臓が破裂し、このまま床に沈んで命が終わる。そんな恐怖に支配される。
――助けて……
しかし、なおも妻は殴打を続けた。
どうすれば、許してもらえるのか。なにを言えば……。
「ああっ、ど、どうか、舐めさせてください……!」
思わずそんな言葉を口走る。
そこでようやく、パンチが止まった。
正解は、屈辱の行為を自ら懇願することだったのだ。
「なにを?」
「お、奥さまの……ブーツの靴底を。どうか、舐めさせてください……」
喉を押さえていた力が解かれ、私は崩れ落ちるようにその場に跪いた。
目の前には、妻がわざとぬかるみを歩いた、泥だらけのブーツがある。
「早くお舐め」
完全支配の快楽が、ハスキーな声に乗っている。
私は悲鳴に近い嗚咽を漏らしながら、その泥まみれの皮革に舌を這わせた。
ザラついた土の感触と、獣の皮の匂いにまみれながら。
かつて、男性が支配していた時代。そんなものが本当にあったのだろうか。
今となっては、もはやお伽話にしか聞こえない。
「もっと必死にやれよ」
上から降ってくる声に、私は愛想笑いを返す。
「申しわけございません。かしこまりました、奥さま……」
――わが家の女王様を怒らせてはならない……もっと真剣にやらないと……
そう自身に言い聞かせながら、懸命に妻のブーツの爪先に舌を這わせる私だった。
「最初っから舐めてれば、痛い目見ずに澄んだのに、ばっかじゃないの」
彼女の言うとおり。浅はかな自分が恨めしいばかりであった。