ショートストーリー

蹂躙の美学 ―― 成功した女性による「新時代の放蕩」

かつて、夜の街を闊歩し、酒と博打と異性遊びに興じることを「男の甲斐性」と呼んだ時代があったという。今となっては、もはや滑稽な御伽話に聞こえる。

現代において、その放蕩の権利をしっかりと握っているのは、社会の主導権を勝ち取った私たち女性だ。財力を持ち、責任を背負い、世界を動かす。その報酬として得られる「支配」という名の果実を、私は今夜も優雅に味わっている。

高級ホテルの最上階、視界を遮るもののないラウンジ。

先日は、大きなプロジェクトを共にする取引先の重役を接待する側だった。今日は、その見返りに最高級のヴィンテージ・シャンパンで「接待される側」に回っている。

私たちの傍らには、常に奉仕役としての男たちが控えている。

私たちが国家の経済や、次世代のテクノロジーについて様々な議論を交わすその傍らで、彼らはただ息を潜め、グラスを差し出している。いかに粗相なく女性に尽くすことができるか、それだけが彼らの役割であり、難しい思考など男に求められはしないのだ。支配される側の矜持とは、いかにして忍従の立場を貫き通せるか。彼らの存在価値は、まさにその一点に集約されるのである。

「今週末は、少し羽根を伸ばしてくるわ」

自宅のソファで私の履いたままのブーツを磨いている夫に、事務的に告げる。

行き先はカジノ。連れて行くのは、最近お気に入りの若い浮気相手だ。かつての不器用な男たちのように「出張」などという卑屈な嘘を吐く必要はない。堂々と、清々しく、息抜きに行ってくると宣言する。それが、一家の大黒柱としての誠実さであり、強者の余裕なのだから。

かつての男たちのようにちまちまと賭けに興じるなど、女の性に合うはずもない。ゆえに、勝つときは大勝し、負けるとなれば有り金をすべて叩きつけることさえある。そうして追い詰められた果てには、連れてきた浮気相手を換金するか、あるいは彼自身を賭けの対象にベットする。ふふ、これが戯れ言か真実かは、読者に委ねよう。だが、このような遊び方こそ、成功を掴み取った女性にふさわしい、至高の悦びであるのだ。

それはそうと、浮気相手を抱くのにもいつかは飽きが来る。

男の情緒など、時にひどく鬱陶しいものだ。そんな時は、迷わず「男を買い」に行く。カタログから選び抜かれた一級品の商品を、ベッドへとデリバリーさせるのだ。

「あとでめそめそ泣かれたり、後ろ髪を引かれるようなことがないのがいいのよね」

先日、女友達とワインを傾けた際も、満場一致でこの意見になった。

そこに情緒的な愛など必要ない。あるのは一方的な消費と支配。リーズナブルな対価を支払うことで、私たちは男という生き物を己の思うがままに弄び、支配欲を満たす。商品に対して責任を持つ必要はない。使い終われば、また次のを選べばいいだけのことだ。

夜遊びも、ギャンブルも、男漁りも……すべては、外で働き、圧倒的な富を家庭にもたらす女の特権である。

家で私を待つ夫が、私の不貞や放蕩に気づいていないはずがない。私が持ち帰る別の男の香りに、彼は時折、悲痛な表情を浮かべる。だが、彼は決して口出しをしない。いえ、できないのだ。

「誰のおかげで生活できてるの? 文句があるなら、今すぐこの家を出ていけばいい。……捨てられたくなければ、ただ黙って私についてくること。簡単な話でしょう」

私の冷徹な宣告に、彼は震える膝を床に着け深く頭を下げる。

今現在享受している安定した生活のすべては私の支配下にあるという事実を、彼は骨の髄まで理解している。その屈辱に満ちた服従こそが、夫としての唯一の本分なのだから。

欲望を謳歌し、男を従える姿。

これこそが、現代の成功した女性にふさわしい新時代の美学だ。

今後どれだけ時代を経ても、私たちの支配が終わることはないだろう。

蹂躙され、使い捨てられ、精神を摩耗させた男たちが、気息奄々と老いさらばえていくのを尻目に、私たち女性は力強さをいっそう増していく。彼らのエネルギーを吸い取るかのように、美貌も若々しさも、さらに眩いばかりの輝きを放ち続けるのだ。